金刀毘羅宮(ことひらぐう)編


 白峰宮を出発すると、さぁ次は今日一番の目的地、こんぴらさんで有名な金刀毘羅宮に向います。ココもまた崇徳上皇を祀ってあります。

 白峯宮からこんぴらさんまで行くには、ガイドに記載されてある簡単な地図を見ると、国道11号線から国道319号線に合流し、そのまま道なりに行けば、きっといつか「金刀毘羅宮」の看板、もしくは琴平の標識があるにちがいない・・・いくら僕でも今度ばかりは間違わないよなぁ〜・・・とタカを括っていましたが・・・・やはり見事に迷いました(自爆)

一応、車の流れにのってレンタカーを走らせていたのですが、ある交差点に差し掛かった時、前の車も、そしてバックミラーで後ろを確認すると、どの車もみんな交差点を左折するんですよ。ん???イヤな予感・・とは思ったのですが、僕はもう319号線を走ってるにちがいない・・という固定観念に縛られていたので、「まっ、みんなが何処行こうが知ったこっちゃない・・・僕はこんぴらさんに行くんだから・・・」と思っていたのですが、その道、踏み切りを越えて車をさらに走らせていくと、どうにもこうにも国道と言うにはかなり道幅がせまく、「・・・・・ひょっとして、僕、また道間違えたんすかね・・・」と不安の中走っていくと、「善通寺」という看板を発見。「ちょっと見学してみたいが、いやいや、それより先に目的地であるコンピラさん・・・」と思い、そこを通過・・・すると、さらに道幅が狭くなったので、急カーブの先で路肩に駐車し地図を広げて、さっき見つけた「善通寺」が何処か確認すると・・・・やはり319号線からはずれて、何だかわけ分からない道を進行してることに気付く。「オーノォーッ・・・・」もう自分の方向音痴?ていうか、おバカっぷりに父ちゃん情けなくて涙出てくら〜状態。

 そんなわけで、強引にUターン。きっと、さっきみんなが曲がった交差点を曲がればイイのね・・・てなわけでその交差点を右折。車を走らせて行くと、琴平の標識発見!!ヤッタ!!(^_^)

 が、こんぴらさん近くに来て、ちょっと困ったことに・・・・多分、参道らしき道を、人混みの中をヒンシュクを浴びながら車をゆっくりと走らせていたが、どうにもこうにも駐車場が無い!!!挙げ句に、前方を見ると、この先は車進入禁止のようだ。強引に某旅館の駐車場でUターンをし、この石畳みの道が始まる所にある土産物屋さんの駐車場が利用可らしいので、そこに停めることに。駐車料金は・・・・・忘れたけど、1000円だったかな???そのお土産屋さんで2000円買い物すると駐車料金は無料です。

 10時15分に車を停めてさぁ出発です!!

 駐車場(お土産屋さん)は右写真(上)の右横にあり、そこから風情ある町並みを眺めながら歩いていると、終わる事のない石段が始まります。参道の入り口から金刀毘羅宮の本宮までの階段数は785段、そんなに雨も降ってなかったので、傘は車に置いて行くことに・・・結局傘は旅で使用しなかったのですが・・・それなら買うなよぉ〜・・と自分にツッコミ入れて、尻を叩いて頑張って石段を登っていきます。

 こういう参道の脇には、決まってお土産屋さんが乱立してますが、それにしてもまぁこれだけの店数で、経営が成り立つのかしら??と思ってしまう。昔はこんぴらさん詣でというのは、京都旅行や伊勢詣でと並び称されていて、「金比羅船々、追手に帆かけてシュラシュシュシュ・・・♪」と江戸時代末期に唄われ明治時代に大流行したそうです。

 余談ですが、僕はこの歌、「金比羅船々、お池にハマッてホラシュシュシュ・・・」と間違って覚えてました。お池にハマッたのはドングリだって・・・と自分にツッコミ入れておきましょ・・・・(^_^;

 想像以上にキツい石段をのぼっていくと、大きな門(大門)がお出迎えしてくれます。僕の前方を歩いていた団体の観光客が、この門の前で写真撮影していたので、しばしそれを待ってから僕も写真を撮る(右の写真)、この門は1649年に松平頼重が寄進したものです。ここから階下の町並みを見下ろすと絶景なのでしょうが、残念ながらガスっていて、何も見えませんでした。ちなみに、ココまで石段は365段です。足の悪い御老人はココまで駕篭に乗せてもらってました。駕篭で行けるのはこの大門まで??これ以上は歩かないといけないのかな???

 大門をくぐって、さぁ境内に入りますと、最初に見えるのが右写真上の旭社です。境内に入り最初にあるのですが、大門からこの旭社までまた石段を昇ります。旭社までで626段!!金刀毘羅宮本社までもう少し!!頑張りましょう!!!

 旭社は1837年に建築、もともとは、金光院松尾寺の金堂でした。左側の灯籠の寄進者に、坂本竜馬で有名な才谷屋の名前もあるのでチェックしてみてね!!

 旭社を右に折れてまたさらに石段を昇ると、785段、標高251mのところに金刀毘羅宮本社があります!!やっと到着・・・雨降って寒かったせいか、かなり膝痛いっす・・・。

 この金刀毘羅宮の祭神は崇徳上皇と大物主神です。崇徳上皇については香川旅日記前編で説明したとおり、怨霊であり、御霊信仰の対象となった人物ですが、何とこの大物主神も、出雲大社に祀られる大国主命と同じ神(異名同神)です。つまり、前に出雲旅日記で説明しましたが、僕はこの大国主命も日本最古の怨霊と考えているわけですから、日本最大の怨霊と言われた崇徳上皇と、そして日本最古の怨霊、大国主命(大物主神)という、怨霊界の二大スター???を祀ってあるのです!!これってスゴいと思いません????興奮してる僕って変っすかね??

 社伝によると、大物主命が琴平山に本拠を置き、中国、四国、九州などの経営にあたったのが金刀毘羅神社のはじまりとされるが、創建の年は明らかでないそうです。が、創建当初から「金毘羅大権現」と称していたのだが、明治初頭に「神仏分離令」により金刀毘羅宮に改称して今日に至るそうです。

 そもそも金毘羅はサンスクリットのクンビーラの漢訳で、ガンジス川に棲息するワニの神格化した名であり、仏法の守護神として薬師如来十二神将の一つ「宮毘羅(くびら)大将」のことです。鰐神は海の神様として、海難祈願や雨乞い、とかく水に縁のある神で、その流れで金刀毘羅宮の神様となったわけです。つまり、明治の神仏分離令によって祭神が崇徳上皇と大物主神となったわけですが、それ以前は寺の中に金毘羅様を祀っていたものだったわけです。寺と神社ってベツモノでしょ??と不思議に思うかもしれませんが、日本に仏教が伝来し、それから明治までの1000年近くの間、神社は仏教に取り込まれ??ていたところもあるのです。詳しく説明すると長くなるので省略しますが、とにかく、今の形になったのは、明治の時代に廃仏毀釈によって・・・・なのです。

 この廃仏毀釈については、当HPのsatの東京散歩「明治神宮編」で簡単ですが書いてありますので、よろしければ御覧ください。

 さて、たいていの人はこの本宮を参拝後、引き返しますが、せっかく来たのだから、さらに気合い入れて奥社を見学しましょう!!!

 奥社は本宮向って右側の道を進んでください。

 

つづく

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